81b2331

一般財団法人ジャパン・マザーミッション機構
理事長 山内俊夫







そのような毎日を送っているうち、1週間もしない時に文学部の食堂がザワザワし始めた。
何事かと思っていると私が注文した大盛カレー(山内スペシャル)が届く。


食堂のおばちゃんと仲良くなって以来必ずだしてくれる山内スペシャル!!
吉永小百合がテーブルの上のスペシャルを見て、突然「まあ、すごい」と言い私をチラッと
見たではないか。

大、大好きな映画館のスクリーンでしかお目にかかったことしかない本人が目の前にいるではないか。
もう大変。今でも当時の場面が思い出され、心臓がパクパクするのである。


私の実家は丸亀市内の繁華街のど真ん中にある風呂屋です。
風呂屋には映画館の上映宣伝ポスターが貼りだしてあり、毎回映画館の入場無料券が配布されるのだ。

その入場券は私の特権で月の内4館は見に行けるのである。
吉永小百合の映画は必ず見に行っていた。なかでも「キューポラのある街」は非常に印象深い映画であった。
埼玉県川口市の鋳物工場の物語であの愛くるしい瞳を持った主人公を演じる吉永小百合は一段と輝いていたのである。
物語の中で相手役をつとめていた市川好郎。彼は45才で早く亡くなったが市川好郎になれたらなと
今はあの時を思い出すのである。


世の中に「サユリスト」大変多くいる。
世の男性の8割はそうではないかと勝手に想像するが、はたしてそうであるのかどうかのデータは持ち合わせていない。
政治家の中にも「サユリスト」は多い。

中でも元自民党の宏池会派閥の頭首、谷垣貞一氏はピカ一の「サユリスト」である。
彼が財務大臣の時、夕食をともにした折吉永小百合の話になった。
「東大出の谷垣さんはなぜ早稲田の吉永小百合が好きなのか」と問いかけると
「山内さん、私は吉永小百合と生年月日は1週間も違わないのです」と。
谷垣氏は昭和20年3月7日生まれ、吉永小百合は昭和20年3月13日生まれ。確かに1週間も違わない。
だから「サユリスト」になったのか…。我が愚妻も3月9日生まれ。


当時の男性は皆吉永小百合の一挙手一投足にほれぼれとしていたのだと思う。

そんな話の中で、自然に谷垣氏を会長に山内事務局長として「吉永小百合を守る会」を
2人だけで設立した。その彼が自転車事故で身体が不自由にはなったけれども
2人で交わした綱領は「早く岡田太郎と離婚してほしい」



今だにその綱領は生きているのだ。近年、岡田太郎氏は他界しているのだけど。