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一般財団法人ジャパン・マザーミッション機構
理事長 山内俊夫

NHK歌番組と言えば「紅白歌合戦」が一番に思い出される。
私が生まれたのは、昭和21年12月17日である。

私が生まれて一週間目に南海大地震(M8.2)が発生し
父母、祖父母から大変な地震であったと聞いています。

紅白歌合戦は昭和26年1月ラジオで正月番組としてスタート、
テレビは第4回大会昭和28年12月から始まった。

それ以降、戦後の歌番組としては、視聴率はもとより、
日本の風物詩として数々の話題を皆に提供し続けている。
私も子供心に年末の紅白歌合戦は心待ちにしていた一人であった。

私と演歌との出会いはそれよりも少し前の昭和20年代前半、
父親の口ずさみだった。
歌は下手でかなり聞きづらく、音も外れていたため
子供心に間延びした蓄音機のようだと思っていた。

幸いにも私は母親似で歌は小学校時代から得意で、
時々音楽の先生に呼び出され皆の前で歌わされていたほどである。

その頃は白黒TVが話題になるほど世に普及し始め、
テレビ画面からは美空ひばり(日本の歌謡界において後にも先にも彼女を超える歌手はいない)が連日映し出され映画のスクリーンにも華々しく出ていたものである。

特に男の私にピッタシだったのは以下だ。
男性歌手で高音の歌手、春日八郎の「別れの一本杉」
「泣けた、泣けた~こらえ切れずに~泣けたっけ~」これがであった。
「そして赤いランプの終列車」「お富さん」など後には
将棋棋士の内藤国雄九段の「おゆき」
「持って生まれた、運命(さだめ)まで、変えることなど出来ないと~」
などが私の歌うキーにあっていたのだった。