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一般財団法人ジャパン・マザーミッション機構
理事長 山内俊夫

私は幼年期より、相撲が大好きであった。
どうして相撲が好きになったのかと言えば、
小さい時から友人と学校の砂場で
よく相撲して遊んだものである。
そして誰にも負けなかったのである。
当然、戦えば勝つ、だから好きになった。
しごく自然なのである。

小学校(丸亀市立城南小)3年生の時、
私の体格は身長100cm程度、
体重18kgほど、学年の中で小さい方に入る小さな子供であった。
でも小さな身体の割に筋金入りの筋力を持っていた。
ひと回りも大きな友人と5番勝負しても5戦5勝0敗、
学年では一番強いと言われ自慢の一つでもあった。

強さの秘密は、母親に悪さを指摘され、
おしおきには、やいと(お灸)をされる。
気強な母に馬乗りになられても絶対お灸をさせなかった。
母の体重は50kg以上あっただろうか!
5分以上あばれ回り、線香に火がつけられなかった。
ついにあきらめざるをえなかったのだ。
「この子はバネのかたまりだ」と言って、あきらめた。
シメシメと思い身体強化の為、一段と相撲に取り組んだものである。

1990年代、私は香川県議会議員となって先輩県議より、
香川県相撲連盟会長職を依頼され、
もともと大好きな相撲なので快く引き受けた。
香川の相撲の歴史は、なかなかのものである。

江戸時代、東京相撲と大阪相撲とがあった。
香川には高松松平藩と丸亀京極藩があり、
中でも京極藩の殿様は相撲が大好き、
当時おかかえ力士を7名も抱えていた。
わずか6万石の外様藩、7名も力士を抱えるのはいかがなものかと
お江戸よりクレームが伝わり、1~2名に断念したと歴史がある。

そうした歴史があるにもかかわらず、私が会長に就任した時には、
幕下に高松出身の五剣山と序の口に1~2名の相撲取りしかいなかった。

高校総体には四国の雄、明徳義塾高校があり、香川の高校は歯がたたなかった。
県内大会には私の挨拶に相撲の歴史と、できれば大相撲力士を目指すよう激励、
大きな目標を与え続けた。

また、丸亀お城まつり(毎年5月)には、わんぱく相撲大会を催し、
大会には本物志向の私の発案で第24代式守伊之助(香川出身)を立行司として招き、
大会を盛り上げたものだ。

式守伊之助は、北の湖の結びの一番で行司差し違いをやり、
責任を取り60代前半の若さで引退をした行司であった。
ですから地方の子供相撲とは言え、結びの立行司は一味違った感情が漂っていた。

催物後のパーティで蔵前から現在の両国に新設された国技館で一度は軍配を振ってみたかったと言った。
わんぱく相撲全国大会がこの夏開催されるので、東京青年会議所にかけ合ってみようと提案、
見事に採用された。

おかげ様で、現在香川出身力士は幕内元東関脇の琴雄輝を筆頭に今年7月場所を最後に引退した
希善龍、幕下 魅の隆(丸亀出身)、天風、三段目 天翔前、大喜翔、大翔宗と京極の殿様が
かかえていた時代に帰る7名になっている。

2010年に発覚した大相撲野球賭博問題で、相撲協会から解雇処分を下され、
2014年に正式に引退氏した琴光喜(豊田市出身)当時34才がいた。
彼は私の大好きな相撲取りの一人であった。
決して賭博は良くないが、当時マスコミ(特にTV)などは、溝に落ちた犬に石を投げつけるがごとく
さんざん非難の嵐、一人の有望なる力士の未来をこなごなにしたものだ。
誰しも賭けマージャン、賭けゴルフや野球トトカルチョなど、
いたるところで賭けの社会に染まっているのだが、大きな違いは胴元が反社世界の人たちかどうかが
問題の大小を決めるものだ。

相撲一筋でいきてきた琴光喜に胴元を確認するすべなどを持ち合わせているはずもない。
にも、これでもかとい言わずとも知れないほどのバッシン、最近のTV関係者は、
惻隠の情など持ち合わせていない、おのれの視聴率の事ばかり気にする。
嘆かわしいものだ。

2008年私は福田内閣で文科の副大臣を拝命した。
前任者は松波健四郎先生、副大臣の引き継ぎの時、
私は「松波先生、今、大相撲中である相撲はスポーツでしょうか」
「私は文化だと思うのだが」と問うと、即座に彼は「伝統文化だ」と答えた。
つまりは、相撲はオリンピック種目ではない。
日本古来の伝統文化の領域に入る。
だから、昔から「相撲取りは1年を10日で暮らすいい男」と言われてきたのである。
昨今の様に一年6場所、90日も本相撲を取れば、怪我をしても十分完治もせず、
次の場所が待っているのだ。
つまり、スポーツと認定してしまうと、ガチンコ相撲ばかりになり、怪我、故障が絶えないし、
大怪我をすれば即引退となる。
伝統文化と認定すれば、多少の手抜き(星の貸し借り)は、まあ容認してもいいではないかと思う。
夫婦の間も多少の手抜きを認めれば家庭内円満、波風たたずお互いが幸せかも。