虹と手


一般財団法人ジャパン・マザーミッション機構
森耕一

私がこの「百万一心」という言葉が好きです。
なぜなら、この四文字に込められた元就の人を尊ぶ心が、私の大事にしている気持ち「人には丁寧に接する」事に繋がるからです。
毛利元就は戦国時代の武将です。毛利氏の第12代当主。安芸の国(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主、毛利弘元の次男。
厳島の戦い、尼子氏・大友氏との戦いなど、多くの戦績を残しており、最大勢力時は中国8の国を治めていました。
有名な名言に「三ツ矢の訓」がありますが、こちらも、元就の国人を想う気持ちがこめられた心うたれる言葉だと思います。

百万一心とは
百万一心とは、「百」の字の一画をはびいて「一日」、「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、縦書きで「一日一力一心」と読めるよう書かれています
日をおなじうにし  力をおなじうにし  心をおなじうにする
国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味しています。

- エピソード -
12歳の松寿丸(元就の幼名)が厳島神社を参拝したところ、泣き続ける5〜6歳くらいの少女を見つけた。この少女は母親と巡礼の旅をしていたが、ある城の築城で母親が人柱に選ばれてしまったという。幼い頃に父母と死に別れている松寿丸は少女に同情し、郡山城に連れ帰った。
15〜16年の年月が経って、元服した元就が吉田郡城主となった頃、本丸の石垣が何度築いても崩落するので困っていた。やがて、人柱が必要だという声があがったため、普請奉行は巡礼の娘を人柱にすることにした。娘自身も元就に助けられたお礼として喜んで人柱になると言ったが、元就は「その娘を人柱にしてはならぬ」と厳命。翌日元就は『百万一心』と書いた紙を奉行に渡し、その文字を石に彫って人柱の代わりに埋めるように命じた。(この石は幅約2尺(約60cm)長さ約6尺(約180cm)あったといいます)
人柱を埋めず人命を尊ひ、皆で力を合わせて事にあたるよう説いた、元就の「三ツ矢の教え」にならぶ名言です。

人を尊び、丁寧に大切に接する気持ちが、国人たちはよく理解していたのだと思いますし、そのような元就の立ち振る舞いが、勢力を大きくしていったのではないかと思います。
『百万一心』も『三ツ矢の訓』もどちらも心にとめておきたい、優しい言葉です。