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小生もこの11月で満77歳になります。この話をすると、「喜寿ですね」と言われますが、実は正しくは、喜寿は数え年で77歳のことを言うのです。今日は、長寿の祝いの話をしましょう。


1.節目の年齢に長寿をお祝いをすることを「賀寿」の祝いをするという。一番多く耳にするのが還暦だと思うが、昨年、企業再生のスーパープロであり、また経済小説の作家である友人が満60歳になることから、数名の仲間が発起人となり、還暦をお祝いする会を開催することになった。


偶さか小生が最年長であったことから、発起人を代表してのスピーチを仰せつかった。賀寿のお祝いの席ゆえ、賀寿の歴史や尤もらしい謂れ等の中でも比較的ご存じないであろうことを中心に話そうと思い、いろいろと調べたのだが、今まで知らなかったことがいくつか判った。そこで、今日は「賀寿」についてご紹介させて頂く。皆さんがお仲間の方々との会話の中で、賀寿について話題になることもあると思うが、そんな時にこのブログを思い出して、話題の一つにでもして頂ければ有難い。


2.奈良時代には40歳を長寿として祝っていた。飛鳥・奈良時代の平均寿命が28歳~33歳と言われていることから、40歳は長寿と考えられておかしくない。また、寿命が延びて、還暦の祝い(満60歳、数え年61歳)からを長寿の祝いとしたのは、室町時代からと言われており、これが現代まで続いている。


小生が幼少のころ、「船頭さん」という童謡が歌われていたが、その歌詞は「村の渡しの船頭さんは、今年60のお爺さん・・・」で始まっていた。この歌は、昭和16年に作曲されているが、第6回生命表(昭和10年)によれば男子の平均寿命は46.9歳だから数え年60歳は立派な長寿となる。しかし、いま日本人男性の平均寿命は、81.41歳となっているし、流石にこの歌を歌う度胸は、小生にはない。


皆さんがよくご存じの賀寿は「還暦」「古希」「喜寿」だろうが、この後に「傘寿」
「米寿」「卒寿」「白寿」「百寿」「茶寿」「皇寿」「大還暦」と続く。これらの長寿を表す言葉の意味するところは次のとおりである。
・「還暦」 満60歳 
・「古希こき」70歳 「喜寿きじゅ」77歳 「傘寿さんじゅ」80歳 
「米寿べいじゅ」88歳 「卒寿そつじゅ」90歳 「白寿はくじゅ」99歳 
「百寿ひゃくじゅ」100歳 「茶寿ちゃじゅ」108歳 「皇寿こうじゅ」111歳
・「大還暦」満120歳


お気づきになったと思うが、還暦・大還暦だけは満年齢でお祝いするのである。これは、還暦の意味するところが、干支(えと)=十干十二支(じっかんじゅうにし)の組み合わせ60種類が一巡するには満60年が必要となり、元に還る=生まれた時と同じ暦に還るのが61年目、従って、数え年では還暦にならないからである。


3.では、次にそれぞれの謂れ等を見てみよう
・「古希」唐の時代の中国の詩人杜甫(とほ)が作った漢詩の一部「人生70古来稀なり」
・「喜寿」「喜」を草書体で書くと七の下に七を二つ並べた字となるが、これが七七に見えることから。
・「傘寿」八十を縦書きにすると漢字の「傘」の略字「仐」に見えることから。
・「米寿」「米」の字を分解すると八十八になることから。
・「卒寿」「卒」の旧字「卆」は九十になることから。
・「白寿」「白」という字が「百」から一を取った字=百引く一=九十九
・「百寿」文字どおり百歳
・「茶寿」「茶」の字の草冠が十が二つで二十、下が八.十、八で八十八、合計で百八
・「皇寿」「皇」の字の上の「白」は九十九、下の「王」の字が一、十、一で十一.
     合計百十一
・「大還暦」還暦を2回


人生100年と言われ始めたが、今後は百寿を祝って頂ける方が増えるだろうが、大還暦を迎えるのはまだ相当にハードルが高いと思う。ところが、賀寿はこれだけでは終わらない。
よく、「天寿」を全うして、というご挨拶を頂くことがある。小生は今まで「天寿を全うして」とは、そのお方は天から授かった寿命を大事に使って十分長生きした人生であったと理解していたし、この理解でよいと思う。ただ、上記の賀寿とは違い、何歳までという年齢の目安はないものと思っていたのだが、調べてみるとびっくり仰天、これは仙人界の話であることが初めて判った。
皆さん、「天寿」とは何歳のことか想像できますか? 何と250歳のことを言う。小生が仙人の世界の話と記したのもご納得いただけるものと思う。


4.最後にロスアンジェルス(LA)時代に受けたアメリカ流の賀寿の祝いをご紹介したい。
 LA に着任してから半年を少し経過した小生の満50歳の誕生日、店の次席から「XX会社の社長が11時頃に一人で来てくれと仰っています」と言ってきた。小生に直接の話とは大きな事案だろう、面白そうだと訪問したが、特段、それらしい話もなく、何で呼ばれたか訝しく思いながら店に帰ってきたのが12時を少し過ぎた頃だった。


ところが、店に入って驚いた。事務フロアはガランとして数十名の社員の誰もいない。何だこれは???お客様へのご対応をどうするんだ???それに第一不用心だ!!!全員が一斉に昼食に外へ出た???そんなことはあってはならない、ひょっとしたら全員が休息室に入り込んだか???と、やや怒りを込めて、威勢よく休息室のドアを開けた途端、クラッカーの破裂音と「ハッピーバースデイ」の大合唱。 


秘書の女性から社員全員からのプレゼントだと綺麗なリボンに包んだケースと花束を渡され、開けてみたら何と小生が以前から欲しいと思っていた懐中時計が入っていた。その瞬間、暫く前に秘書からの誘いでローカル社員数名と食事しながら、今、欲しいものはという話になったことを思い出した。あれはこの日の準備のためだったのだなと、その配慮が本当に有難く、目から汗が出そうになった。勿論、25年以上経った今でも、あの懐中時計はちょっと洒落たいときに大切に使っている。小生にとって海外の単身生活の中で迎えた満50歳の誕生日は、最高に思い出の深い誕生日となっている。


アメリカでは50歳から10歳毎にお祝いをすると聞かされた。また、50歳の誕生日は「ハーフ ア センチュリー」と言って、半世紀を生きたお祝いだと説明されたが、社員全員が協力して上手に仕組んでくれた全く予期せぬサプライズ。本当に、本当に嬉しかった。      


因みに60歳のお祝いは「ダイヤモンド記念日」と言ってダイヤモンドを贈る習慣があるという。
LA時代の友人が奥様の60歳のお祝いに何が欲しいと聞いたら、「勿論、ダイヤモンド、10カラットが欲しい」と言われたという。彼がどうしたのかは聞いていない。  
10カラット!!!えらいこっちゃ、日本人でよかった!!!