面白いですよ!!上毛かるたの世界3

許諾第02‐01016号 かんな新吾


「け」県都前橋生糸(いと)の市(まち)


20200706


この札を読んで前橋市が県都=県庁所在地であることは判るが、小生には生糸の市であるとの実感が乏しい。


3年間、前橋の高校に通学していたが、生糸の市(まち)であれば、製糸工場・撚糸工場・染め工場・機織り工場があちこち沢山あるだろうし、目に入って当然だが、工場独特のノコギリ屋根にも気が付かなかった。また、友人の家庭がどんな家庭か興味のない所為もあったのか、家業が繭から機織りまでの工程に関わっていた友人がいたという記憶はない。そこで、改めて調べてみたが、官民通じて最初の器械式製糸所ができたのは、何と前橋市であったという大変重大な事実を初めて知り、聊か恥じ入っている次第である。


1859年に横浜が開港し、外国と日本の貿易が始まったわけだが、以降、1930年前後の世界大恐慌までは圧倒的に生糸が日本の輸出の中心であった。統計を見ると、全輸出量の70%から40%程度を占めていたことが判る。


上毛かるたの「に」、これは2014年6月に世界遺産に登録されて以来、各種マスメディアに取り上げられる回数が頻繁になったあの有名な「日本で最初の富岡製糸」である。改めて詳しく紹介するが、富岡製糸所は明治5年7月(1872年7月)に官営模範工場の第1号として完成しているが、実は民営ではそれ以前から製糸所は開設されていた。
では、どこで官民通じての製糸所第1号が開設されたかだが、それが前述のとおり、前橋市なのである。もう少し詳しく説明しよう。


 前橋藩第11代藩主松平直克は、藩の財政立て直しのため生糸に着眼し、藩営前橋製糸所の開設を指示、藩士速水堅曹(富岡製糸所の所長も務めた人物である)と深沢雄象により明治3年6月に現在の前橋市住吉町に開設・運営されたが、3か月後に現在の前橋市岩上町に新工場を建設し、本格的な生糸の生産を開始、以降、前橋製糸所は日本全国への洋式器械による製糸普及の拠点となった。その後の廃藩置県に藩営から県営へ、そしてまた私営の製糸所となって1900年近くまで操業していた。(#1)


このような状況の中で、前橋は、日本有数の品質の高い生糸の産地として評判が高く、ヨーロッパでは良質の生糸を「マエバシ」と呼んでいたという。(#2)また、機織りも盛んな繊維産業の市として日本の近代化黎明期における日本の輸出を支え続けてきたが、世界恐慌で輸出が大打撃を食らい、第2次世界大戦で街中を焼失し、加えて戦後の化学繊維ナイロンに市場を奪われた。然しながら、前橋は長い間、繊維産業の市として日本経済を支え近代化に貢献してきた、まさに「生糸(いと)の市(まち)」なのである。


前橋の歴史を掻い摘んで見てみよう。少しややこしいのだが、お読み頂きたい。


1) 小生が卒業した高校の校歌の1番は「赤城颪に送られて・・・不断の春の厩橋(うまやばし)」となっている。前橋は、以前は厩橋と呼ばれていたのだろうと思ってはいたが、いつから前橋と呼ばれるようになったか調べたが、想像したよりもかなり昔で、前橋藩第4代の藩主酒井忠清が城主であった1650年前後だということである。


2)1871年、廃藩置県によって設置された前橋・高崎・伊勢崎他8つの県が合併して群馬県が誕生し、高崎に県庁が置かれたが、1872年に高崎から前橋に移された。ところがその翌年の1873年に群馬県が入間県と合併、熊谷県となった際に、県庁を熊谷においた。その3年後、熊谷県を廃止し、当時栃木県の一部であった新田郡・邑楽郡(おうらぐん)等を統合して再び群馬県とし、県庁を高崎に置いたが、またまたその5年後の1881年に、高崎から前橋に県庁を移し、現在に至っている。

高崎から前橋への移転には、2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公であった吉田松陰の妹(ふみ、後にみわに改名、井上真央が演じた。)の連添いとなった初代の群馬県令(1886年に県知事と改称)楫取素彦(かとりもとひこ・大沢たかおが演じた。)の尽力があったという。


3)もう一つ、楫取素彦が残したものがある。群馬県庁のすぐ北に臨江閣という本館・茶室・別館からなる建物が現存している。本館と茶室は、楫取の提言により本人や初代前橋市長の下村善太郎、当時の財界人他の有志による寄付金で1884年に市の迎賓館として建設された。また別館は1910年に開催された1府14県連合共進会の貴賓館として建設されている。

別館建設に際し、払い下げを受けた中山道安中宿の杉並木の巨木30本が使われているが、安中杉並木については別の機会に説明させて頂く。なお、本館・別館・茶室の3棟は、2018年8月に国の重要文化財に指定されている。(#3)


4)前橋の市政施行は、1892年4月1日。日本の市制施行は1889年4月1日に始まっている。1889年中に市制施行したのは、関東甲信越では、横浜、水戸、東京の3市であり、以降1892年までに市制施行した所はなく、前橋は同地域では4番目の市となった。
 まだまだ前橋については書きたいことがあるが、別の機会に譲ろう。


【最後に、読み札の裏に書かれている説明文を紹介する】
 前橋市
 昔は厩橋といい、戦国時代に城下町として生まれ、江戸時代には酒井・松平両氏10万石の城下町で、領内の政治経済の中心地。群馬県の楊さんの発達とともに製紙業地となり、明治以後は県庁も置かれて政治・文化・経済の中心地となり、輸出生糸の生産地として全国的に有名。前橋市人口286,755人(平成7年7月1日現在)
●人工335,705人 2020年5月末現在

(注)
(#1)(群馬県立日本絹の里HP「上州の器械製糸」)
(#2)(群馬県立日本絹の里HP「上州からの絹の道」)
(#3)(臨江閣/前橋市 臨江閣パンフレット)

次回は、「す」裾野は長し赤城山」をご案内いたします。